1つ実験をしてみましょう。後ろ足のひざの後ろをしっかり伸ばして歩いてみてください。それを10分続けながら、ネガティブなことを考え続けることができますか?
ひざの後ろを伸ばすと、自然と背筋が伸びます。背筋が伸びると肩が少し後ろに引かれる感じになり、自然とあごと顔の向きが上がります。顔の向きが上がると当然のことながら 目線が上がりますが、目線を上げると、人間の脳の構造上、内面会話が確実に減るのです。
これは「ストレスゼロ姿勢」のひとつです。実際、この姿勢は、多くの人にとってストレスを感じることが難しくなります。
この姿勢のヒントをわたしはミラノのファッション業界のトップから教わりました。彼いわく、「町を歩いている多くの人の中で日本人はすぐ分かる。なぜなら日本人は歩くときに ひざの後ろが伸びていないんだ」そうです。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1336369&media_id=34 (via omoto1984)
2010-09-12
(via quote-over100notes-jp)
とはいえ「情報集めにネットを上手に活用する」という人も多いと思いますが……。
「情報で成功してる人は本を読んでますよ。ネットはおやつ、主食は本。ダメな奴ほど、それが逆転していくんです。おやつで栄養価が取れるはずないのに、ビタミン剤(手軽な情報)を欲しがるんです。本の内容をうまくまとめたまとめサイトが欲しいってことに慣れてしまうと咀嚼力が下がって、結局同じ情報を見ても分からないんです。これがネット中毒になっている人の特徴で、全く同じ情報を得ていても、読みが恐ろしいほど浅い」
取捨選択が下手になってしまうのでしょうか。
「筋力が落ちているんですよ。本という無駄な紙の塊の中から、自分がココだって思うことを抜き出すのって脳の筋力なんです。筋力が落ちてるのに、どんどん歯当たりの良いモノばかりを出されてきて、それを咀嚼すればいいと思ってるんですけど、筋力が落ちてるから栄養価として取り入れられないんです。カロリーばかり高くて脳が肥満化してるんです。なので主食が本、ネットはおやつ。電車の移動でも行きは本、帰りはネットと使い分ける習慣が必要です」
例えばツイッター、フェイスブックなどSNSでの発言もその筋力の差が如実に現れるとか。
「たまたまネット上で見つけたものをリンクして呟いても何も意味がない。人を惹き付ける面白い情報を発信しようと思ったら、ベストが『自分の体験』、次が『友達の体験』、その次が『読書から引き出された自分の考え』。人に通用するのはここまで。それからは、どんどん情報の質が落ちていって、こんなテレビを見た/ネットでこんな情報を見つけましたと落ちて行けば行くほど、どこにでもいる奴になっちゃう。それは酒で身を持ち崩す人と同じですよね」
毎日、膨大な量の情報が更新されるネット情報社会。広く世の中を知り、世界と繋がってるつもりが、実は脳の筋力を落としているというのだ。暇さえあればスマートフォンとにらめっこになる日常を、意識的に減らしたいものだ。 現代のオトナが捨てるべきこと 『ネット、トレード、自分探し』 | 日刊SPA! (via nyo-saori)
概要:
* 最近の大学生は、ますます計算機を学習することに興味を失ってきている。
* 彼らにとって、パソコンも携帯もPS3も、すでに「あたりまえ」のことである。それの何がすごいの?
* なんとか興味をひこうと教科書をいろいろ見てみたが、 ほとんど「幼稚園のお遊戯」なみの例題か (“クマさんの数をかぞえよう!”など)、 あるいはゲームしか載っていない。
* なんとか彼らの社会的な興味を引きだそうと、あたらしい授業を考え出した。
* その授業とは、障害者をつれてきて学生に会わせ「コンピュータを使って、 彼らの生活を改善してくれ。できなかったら落第。」というものだった。
* 学生たちは、おそろしく熱心に取り組み始めた。
* もはや誰も二次元配列操作を、つまらない例題とみなす人はいなくなった。 なぜなら、それが現実の問題を解くのに使えるということを彼らは知ったからである。
もちろん、この話はあまりに単純化されすぎている。 現実はこんなに甘くない (世の中には、問題を解くつもりで、逆に問題を増やしてしまう人々も沢山いるのだ)。 それでも、この記事には、普段の生活であまりに簡単に忘れられてしまいがちな、 あるひとつの信念が述べられている。それは 「計算機科学は、人の役に立てる」ということだ。 青臭いと言われようが、オレは何度でも言うぞ。 計算機科学は、人の役に立てる。しかも、ものすごく直球なやり方で、である。
もともと、工学というものは最初から社会的な学問だった。 政治や経済と同じくらい社会的だ。しかし、いまの日本で その社会性をきちんと理解している人がどれだけいるだろうか? (新山だってよく理解していない) ところで思うのだけど、みずから医学部や看護学部に (親に行かされるのでなく) 志願して行くような人は、その学問の 「社会性」というものをすこしは認識していそうである。しかし工学部へ、とくに 情報系の分野へ行く連中はどうなのか。ただひたすら「オモチャをいじっているのが楽しい」 だけの人が多いんじゃないか? アホな連中が、やれ facebook だ twitter だ cloud だ、と騒ぐのを見て、 新山が圧倒的に「…どうでもよろ」という気分になってしまうのは、しょうがない。 そんなものは、しょせん「問題のための問題」であって、誰のためにもならないからだ。 練習問題をやっているだけでは世の中は良くならないのである。
まえに Siegel がいっていたように、“工学の女王”である計算機科学は、 未分化な細胞の塊のようなもんだと思う。これは、それ自体では何もできないけど、 方向が定まればどんな形の花でも咲かせることができる — そう新山は信じている。 上の記事にはその見方が明確に示されている。学生に与えられた指令は “Find someone or something in trouble and save it. (何か問題となっている人・モノをみつけて、行ってそれを救いなさい)” というものだ。なんてカッコいいんだろう! 新山はこういう「カッコよさ」に憧れる人は沢山いるだろうと思っている。 将来ほんとうに計算機科学を身につけてほしい人々というのは、 実はこういう社会的な視点をもった人々だ。 C++でアクロバティックなコードを書ける子供などではなく。
2009/4 (a)2009-04-14 (via tora1014, chez-sugi) (via gearmann) (via count6updown) (via twominutewarning)
しばらく前に仲間に言われたこと.
できあがった理論や,他人が研究で新しく編み出したテクニックを習得するときは,何てすごいアイディアなんだ!と驚嘆したり感動したりせず,「フーン,そうやればいいのか.」と冷静に,当たり前のように受け止めたほうがよいらしい.なぜなら,それをスゴイ理論だと思うほど,自分には難しくて使いこなせないのでは,という心理的な壁ができてしまうから.うーんなるほど,そうだなぁと思った.
振り返ってみたら,小中高で数学を習うときもそうなっている.例えば『数直線』—-直線上に実数を目盛るというアイディアは,実に偉大な,驚きの発明だったけれど,教えるときは「こうするんですよ」とやり方を説明するぐらいで,それはとてもスゴイことなのだとか,知性の不思議なはたらきですねとかはあまり言わない.これはきっと理にかなっていて,そんなことをあまり強調されると教わる側は心理的に萎縮してしまうだろう.
ほかに例えば,高校で扱う『積分法』など,実にサラリと話が進む.積分という言葉の意味にも触れず,いきなり「微分の逆を不定積分と言いましょう」から始まって,「定積分とは端点での値を代入した差です」と続き,「実はそれはグラフとx軸が囲む図形の面積なんです,じゃあどんどん面積を計算してみましょう」と来る.何だか,わけもわからないうちに新天地に連れてこられたみたいだ.
個人的には,こんな教わり方をしたために,物理法則が微積分を用いて記述されることを得心するのに余計に長い時間がかかってしまったような気もしなくはない.(ちなみにこの問題—-微積分の意味が学びにくいこと—-はある程度一般的で,現在も残っていると思われる.今後改善されてゆくことを望む.)しかし,ともかく1ヶ月もすればみんな平気な顔をして面積が計算できるようになる.いろいろと問題点や批判はあるだろうが,微積分学は歴史的に見ても多大の労苦・試行錯誤の末にできあがった理論で,一度で完全を期すのは難しい.何ヶ月かの勉強でとにかく使い始められるようになるのは一定の成果だと思う.少なくとも,微積分ができるまでの長い歴史を振り返ったり,その深遠さを語ったりすることは,習得のためにはあまり意味がなさそうだ.
もちろんどんな理論も,「本質を捉える」ことは大切なのだけど,しかしそれは,驚嘆したり感激したりすることとは独立にできることではある.感動せずに勉強なんてちょっと味気ない感じだが,理論も技術も「使いこなせてナンボ」だとするなら,冷静に平常心で学んでしまう(感動は自分で使いこなせるようになったときまで取っておく?)のがよいのかも知れない.
数学者の谷口隆さんのブログから。これには同意するな。
確かに、昨今行われている科学リテラシー教育のように、これはスゴイ、感激、センス・オブ・ワンダーとか言われて、驚嘆の押し売りをされながら科学や数学を教わるより、十分反復練習をし、技術や概念を取得したあとで、実はねそれは結構スゴイんだよと言われるほうが深く感動すると思う。
ただ、科学や数学に対して当初全く興味がない層に、ある程度モチベーションと興味をもってもらうためには、感激やセンス・オブ・ワンダーが必要だという意見も理解できる。うーん、教育は難しいね。
(via kashino)
see/pass you again: 帰宅して大根を剥き下茹でしながら烏賊を輪切りにしていると二年前に何度か食事を断った人からFacebookアカウントに申請が来る。私はそのサー...
帰宅して大根を剥き下茹でしながら烏賊を輪切りにしていると二年前に何度か食事を断った人からFacebookアカウントに申請が来る。
私はそのサービスをほとんど使っていない。何人かから使わないのに文句を言われてかたちだけ登録している。申請がいくつかそのままになっている。
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